ノーベルニュース第368号
- 2026/06/10 21:36
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3月下旬の夜、教室の電話が鳴りました。出てみると、かつて竹原教室で教えていた生徒の保護者の方でした。息子の進路が決まったので直接伝えたいとのことで、いっしょに竹原から西条まで車で40分かけてお越しくださいました。
彼は開口一番、「一浪しましたが、横浜市立大学医学部医学科に合格しました。」と報告してくれました。そして続けて、こう言ったのです。
「僕が医者になろうと決意したのは、修道中学・高校の環境のおかげです。でも、中学受験をして頑張ろうと決めたのは、間違いなく先生のおかげです。先生との出会いがなければ今の僕はいませんでした。だから僕は先生に感謝しているんです。」
西条への転勤があり、私が彼を指導したのは小学5年生までの約1年あまり。中学受験で合格へ導いたのは私ではありません。それだけにこの言葉は驚きであり、同時に胸がいっぱいになるほど嬉しいものでした。彼の人生の選択にほんの少しでも関われていたこと、指導者としてこれほど幸せなことはありません。
笑顔で熱く語る彼を見て、私も自然と笑顔になっていました。人を惹きつける力とはこういうものだと感じ、彼ならきっと将来、立派な医師として多くの人を救っていくに違いないと確信しました。
人の人生はそれぞれ、 歩む道も、出会う人も、選ぶきっかけも違います。その中で、誰かの人生の一部に関わり、背中をそっと押す役割を担えることは、教育に携わる者として何よりの喜びです。たとえ短い時間であっても、子どもたちの未来に残る“何か”を渡せているのだとしたら、それだけで十分に報われます。 そしてまたいつか、彼のように近況を伝えに来てくれる卒業生がいることを願いながら、私は今日も教室に立ち続けたいと思います。
入試が終わり、今年も何人かの生徒を卒業生として見送りました。最後の授業や別れの場面でも、私は特別なことはしません。最後だからといって、必要以上のメッセージやアドバイスを伝えることもありません。いつもの授業を終えて見送るのとなんら変わらない、普段通りの別れです。 卒業生から見ればあまりにも普通すぎて、「えっ」と思う人もいるかもしれません。けれど、私はその“普通さ”にこそ意味があると思っています。別れを強く演出してしまうと、次に顔を合わせるときに気恥ずかしさが生まれますし、卒業生にとっても「しっかり別れを言ったのに、またすぐ戻るのはどうなんだろう」と感じさせてしまうかもしれません。 だからこそ、いつも通りの別れであれば、再会もいつも通りにできるのではないかと考えています。
卒業したから終わりではなく、“ふと思い出したときに立ち寄れる場所”“再受講のためではなく気軽に近況を伝えに来られる場所”“何気ない話ができる安心できる場所”としての教室でありたいと願っています。 そんな願いを込めて、私は毎年、普段と変わらない見送り方を選んでいます。