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アンケート結果

5月下旬に生徒、保護者の皆様に実施いたしましたアンケート結果は以下の通りとなりました。ご協力いただきました皆様ありがとうございました。

《生徒アンケート満足度》

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「満足」 「おおむね満足」 … 合計98%

 

《保護者様アンケート満足度》

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「満足」 「おおむね満足」 … 合計96%

 

これらの結果から、多くの方々に支援いただいていると感じました。本当に感謝申し上げます。結果をしっかり受け止め、現状に満足することなく、ご要望にお応えできるようさらに努力してまいります。

私がYouTubeで見るところ(ノーベルニュース第320号 教室長コラムより)

 皆さんもYouTubeをよく見られているのではないでしょうか。何かを調べるとき、インターネットのサイトから情報を得ることが1つの手段になっていますが、今はYouTubeもその1つになっていると思います。また、“数学の裏技”と検索すればすぐに解説動画が出てくるので、情報収集だけでなく学びのツールになっているともいえます。

 私は、教育をはじめあらゆるジャンルを見ていますが、その際に欠かさず見るところは「コメント欄」です。視聴者の様々な意見があります。時には1,000件を超えるコメントがあり、「うわっ」とも思いますが、それでもできる限り目を通しています。欠かさず見る理由は、人それぞれの意見を知るいい機会になるからです。同じ動画を見て私と同じ感想を持った人もいれば全く違う見方をしている人もいます。そのようなコメントを読むと、自分の中になかった意見に気づくことができます。私にとっては動画そのものだけでなくコメント欄も学びのツールになっています。

 人はそれぞれです。それぞれ感じ方が違います。先生と生徒でも人と人の関係で、年齢は関係ありません。自分の価値観を押し付けることなく、生徒との考え方の違いを受け入れながら授業を進めていきたいと思っています。

調べる力・検索する力(ノーベルニュース第319号 教室長コラムより)

 作文の問題や英検2次試験の練習問題で、「“紙の辞書”と“電子辞書”ではあなたはどちらの方がいいと思いますか。あなたの意見を書きなさい(述べなさい)」という問題を見たことがあります。もし、どちらの方がいいかと聞かれたらみなさんはどのように答えますか?私はどちらでもいいと答えます。理由は、知りたいことを知るという結果に変わりがないからです。もちろんそれぞれに長所・短所がありますが、目的を達成できるならどちらでもいいという考えです。辞書を使うことに限らず、これからは何事も自分で調べる(検索する)ということが必要になってくるでしょう。

 昨年、高3生の物理の質問で、手元に参考書がなかったため必要な公式を調べてみようとそれぞれタブレットで検索しました。私はすぐにたどり着きましたが、その生徒は結局たどり着くことができませんでした。その時にどのように検索すれば必要な情報を手に入れられるのかという力を養うことが必要だと感じました。塾では辞書・教科書・参考書だけでなくタブレットを使って調べることをOKにしています。わからないことを知ると同時に“調べる力”“検索する力”も身につけてほしいと思います。

志(ノーベルニュース第318号 教室長コラムより)

ノーベル学習館では全生徒に『志(志作文)』を書いてもらい、そして掲示しています。(西条中央教室では奥の教室の壁に掲示しています。)内容の見つめ直しのため、毎年新学年なる4月にみんなに書き直しをしてもらっています。この1年の間に『志』が変わった生徒、変わっていない生徒さまざまです。みんなにはどちらでもOKと伝えています。この1年の間に変わったのは“自分自身が成長し新たな目標が決まり志が高まった”ということになりますし、変わらなかった場合は“夢が揺らがず引き続き頑張ろうと決意をした”ということだと言えます。

 保護者の皆様は次回の懇談の時にご確認いただけますが、それまででも構いませんので、お子様がどのように書かれているのか、気になる方はいつでも見にいらしてください。家庭とは違う一面が感じられるかもしれません。

苦い思い出(ノーベルニュース第317号 教室長コラムより)

 3月15日に公立高校入試の合格発表があり、無事“全員合格する”ことができました!西条中央教室に赴任し4回目の受験生でした。4年連続公立高校入試全員合格、私がノーベル職員になって直接指導した生徒は14年連続全員合格となりました。しかしながら過去すべて全員合格だったというわけでもありません。中学入試や大学入試において、第一志望校に合格させてあげることができなっかたことがあります。そして、高校入試においては、15年前、入社1年目に個別指導で担当した生徒を合格させられなかった苦い思い出があります。

 本人はA高校に行きたい、しかし内申点も模試の偏差値も足らない、B高校を勧めると本人は頑なに拒否、その理由は「兄が通っている」「自分を馬鹿にする女子が行く」というものでした。高校に行けば接点が薄くなること、B高校でも自分が将来やりたいことを実現する道に十分つながっていること、充実した高校生活を過ごせることなどを何度も説得しました。直前の懇談ではお母様と2日間にわたって4時間近く懇談をしました。しかしながら本人とお母様の意志を変えることはできず、そのまま受験し結果は不合格でした。家庭訪問した際、お母様から「先生の言う通りでした。こんなにショックを受けるものだと思いませんでした。」とおっしゃられたことを今もはっきりと覚えています。この生徒は私立高校へ進学しましたが、私が後悔していることは、合格のために志望校を変えることを勧めることばかりで、本人の気持ちを応援していなかったことです。私の指導が響いていなかったことはまったく宿題をしてこない姿勢に表れていました。その姿勢を変えられなかった指導力不足を痛感しました。

 この経験から生徒・保護者様の気持ちに応えていくために「今のままでよいのか」と日々自問自答を繰り返しています。そして、16年目の生徒の受験が始まりました。全員合格を目指して今から取り組んでいく決意を新たにしたところです!

合格者の声(大学入試)

最初は何をどう勉強してよいのか、どこを目指せばよいのかも全然分からず、なかなか勉強を進めることができませんでした。しかし、先生が付きっきりで教えてくれたおかげで、共通テストで良い成績をとることができ、そのまま二次試験でも弱点を克服し合格できました。ノーベルで学習できて本当に良かったです。

 広島市立大学情報科学部 近畿大学工学部 広島工業大学工学部 合格 Y.O君

 

合格者の声(高校入試)

はじめは賀茂高校に行けるはずがないと思っていましたが、先生が熱心に僕と向き合いながら勉強を教えてくれたので、だんだん自分に自信がもてるようになりました。試験のときにはプリントを配ってくれるなどとても助かりました。本当にノーベル学習館や先生のおかげで志望校に受かったと思います。

賀茂高校普通科 / 広島国際学院高校選抜進学コース 合格 D.I君

合格者の声(中学入試)

ぼくは勉強がとても苦手で6年生になってもずっと逃げていました。夏休みが終わるころ、オープンスクールをきっかけに受験をすることを決めました。まともに勉強してこなかったため時間がなくあせりを感じていましたが、先生は基礎からしっかり教えてくれました。わからないこともていねいに教えてくれました。ぼくは初めて本気で勉強と向き合うことができ、無事に合格することができました。この姿勢を忘れず、入学してもがんばります。

近大附属広島中学校東広島校 合格 S.S君

 

 残り3か月くらいからのスタートで不安でしたが、先生は熱心に相談にのってくれて心強かったです。先生は基礎から丁寧に教えてくれました。今思えば受験勉強から始めても理解できなかったと思います。先生が本気で向き合ってくれたおかげで、今まで見たことがないくらい自ら勉強するようになり、勉強の仕方、楽しさをつかみ無事合格することができました。やればできるという自信がついたようです。本当にありがとうございました。

近大附属広島中学校東広島校 合格 S.S君 保護者様

言葉の使い分け(ノーベルニュース第315号 教室長コラムより)

  • 2022/02/20 18:27

 勉強のためにゲームやスマホをやめないといけないと思ったとき、思い浮かぶだろう2つの言葉の意味をいろいろ調べてみました。

「我慢(がまん)」…(他からことに関して)つらいと感じることをこらえること。

「辛抱(しんぼう)」…(自分のために)つらいことをじっとこらえ耐えること。

 どちらも苦しいことを耐える点では共通ですが、語源を調べてみると「我慢」は仏教のことばで心が高慢(うぬぼれが強い)からで、「辛抱」は心を修練する心法からきています。「我」に自慢の「慢」、「辛さを抱く」という漢字の通りかもしれませんね。ふだん何気なく同じような意味で使っている言葉でも、意味の違いを理解し、今の自分はこっちだと使い分けていくと、気持ちが変わったり自分の心の引き締めになったりすると思いました。みなさんも何か気になる言葉があれば、書きとめて意味を調べてみてください。新しい発見・気づきがあるかもしれませんよ。

愛情(ノーベルニュース第314号 教室長コラムより)

 

 自分の子どもに「勉強を教えて」と言われ、教えているうちについ怒ってしまったという経験はありませんか。子どもから見れば「わからないから聞いているのになんで怒られるんよ」と理不尽に感じているかもしれません。

 私はふだん自分の娘には勉強を教えないようにしています。それは教えているうちに、ついカッとなってしまうからです。何度か泣かしたことがあり、その反省からきています。 「怒る」は自己保身からの感情で、「叱る」は相手本位(相手のため)の行動です。そうとわかっていてもつい怒ってしまうのです。

 先日、ふと「どうして怒ってしまうのだろう」と考えてみました。それは「感情(気持ち)が入ってしまうから」で、「じゃあどうして感情が入るのか」とさらに自問自答を続けると「できるようになってほしいと思うから」そして、それは「わが子を思う愛情の表れ」にたどり着きました。怒るも子どものためにつながっていると気づきました。

 厳しく言われた子どもからすれば、「私のためにここまで言ってくれてありがとう」とはなかなかならないと思いますが、根底に“愛情”を感じると、何らかの気づきが生まれ、次の行動が変わるかもしれません。

 もしこのような場面になったときは「相手のことを思っているんだ」「私のことを思ってくれているんだ」とお互いに“愛情”を意識してみてください。

 ちなみにですが、ノーベルの職員の間では、「愛とは=関心を持つこと」という共通認識の言葉があります。これからも愛情をもって日々接していきます!

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