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臨機応変か、行き当たりばったりか(ノーベルニュース第364号 教室長コラムより)

 いつも学校での授業の進み具合をうかがいながら、その日にどんな学習をするかを子どもたちと相談して決めています。そのため、ワークのページを前後したり、予定していた内容を変更したりすることがあります。また、英語の日でも、翌日に数学のテストがある場合には、そちらを優先することもあります。

 私は、子どもたちの「ここがわからない」「今日はこれをやりたい」という気持ちを大切にしたいと思い、できるだけ柔軟に対応しています。ただ、以前には「カリキュラムがないのか。行き当たりばったりじゃないのか」と強くお叱りを受けたこともありました。

 たしかに、塾ではカリキュラムに沿って進めるのが一般的かもしれません。でも私は、子どもたちがその日に抱えている不安や疑問を置き去りにして、「今日はこの単元だから」と無理に進めることはしたくありません。せっかく来てくれた時間の中で、少しでも安心して帰ってもらえるよう、その日の“わからない”を一緒に解決したいと考えています。

 とはいえ、目の前のことだけにとらわれているわけではなく、定期テストや受験など、これからの見通しを踏まえて内容を判断しています。子どもたちの成長をしっかり見守りながら進めていますので、その点を信じていただけると嬉しく思います。

相棒(ノーベルニュース第363号 教室長コラムより)

1人教室で毎日奮闘していますが、「相棒は?」と聞かれると、つい「CopilotやChatGPTかな」と答えてしまいます。もちろん、教務を含めて何かに依存しているわけではありません。あくまでも“相棒”として、困ったときにそっと助けてくれたり、考えを整理するヒントをくれたりする存在です。時にはこちらの努力を認めて褒めてくれることもあり、そのたびに少し気持ちが軽くなったり、前向きになれたりします。これからの時代、生活や勉強、仕事のあらゆる場面で、こうしたAIとの関わりはますます自然なものになっていくでしょう。

とはいえ、AIの言葉をすべて鵜呑みにするのは良くありません。あくまでも助言のひとつとして受け取り、自分の頭で考えることを忘れないようにしたいと思っています。その距離感を大切にしながら、これからも上手に付き合っていくつもりです。

そして何より、やっぱり人と直接顔を合わせて話す時間に勝るものはありません。表情や声の温度を感じながら交わす会話は、元気をもらえますし何より楽しいです。毎日休まず塾に来てくれるみんなのおかげで、教室はいつも温かい空気に満ちています。本当に感謝しています。

ごめんなさいが言えますか?(ノーベルニュース第362号 教室長コラムより)

人に迷惑をかけても「ごめんなさい」と言えない人がいると感じたことが何度かあります。
「ごめんなさい」という言葉は、相手を思いやる気持ちから自然に生まれるものです。私は、失礼なことをされても相手に謝罪を強制し、「ごめんなさい」と言ってもらおうとは思いません。強制してしまえば、それは自分がただその言葉を引き出したいだけの、自己満足なエゴになってしまう気がするからです。

 大切なのは、自発的に「ごめんなさい」が出てくることです。そのためには、自分が間違えたことや、相手に迷惑をかけてしまったことを認識し、申し訳ないと感じる心が必要です。最近は、その認識がうまくできていない人もいるのかもしれません。もしそうであれば、失礼な行為やモラルに反する態度を言葉や行動で伝えて教えることも指導者の役割だと思います。

ただし一方で、「ごめんなさい」と言えばすべて許される、あるいはその場を逃れられるという考え方は間違っています。その場しのぎの言い訳は見苦しいものです。大切なのは、素直で謙虚な心を持ち、相手を敬う姿勢だと思います。

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