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大乗ノーベルニュース9月号

『大切にされている』と思うとき 初めて言葉は届く

 中学3年男子で授業を抜け出し、校内外の俳諧、暴言等。その度に連れ戻し説論するが、いつも興奮気味で聞き入れない。保護者との相談会ももつが母親は常に参加してくれたがほとんど話さず、学校への要望などはなく終始無言で会を閉じるときに礼をして帰るだけだった。「いつもすぐに来校してくれることはありがたいし、母親としての思いもわかるがもう少し何か話してくれないか」。連日同じことの繰り返しに職員も疲弊し不満も出始めた。
 しかし何も解決することなく時は流れ卒業式を迎える。式の朝、出勤が早い職員が報告に来た。「今朝6時ごろ“〇〇の母ですけどこれを3学年の先生方へ、それと関わっていただいた先生方へお願いします。”と言って置いていきました」。発砲スチロールの箱を開けてみた。そこには手作りのティラミスが100個入っていた。その1個1個に「ありがとう」と書かれている。その「ありがとう」はどれが最初で、どれが50個めで、どれが最後の100個かわからない。心を込めた美しい「ありがとう」だった。
 ここで初めて気づいた。我々は解決だけにこだわってこの親子の苦しみに向き合っていなかったのではないか。なぜそうなのかも考えずに行動の是正を本人に求め続けていたのではないのか。しかしこの子を育てた母親は気づいていた。「そんなやり方ではこの子には言葉は届かない。小さいころからみんな大人の関りはそうだった」。ではなぜ「ありがとう」なのか。我々の取り組みは改善の兆しにはつながらなかった、推測でしかないがそれでも男子を離さず関わり続けたこと、それに対する「ありがとう」そして「忘れないで」というメッセージ、そう受け止めた。

 心に響いた記事でした。紹介させていただきました。

        『共に学び 共に育つ』  館長  西川敏博

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