エントリー

2024年03月の記事は以下のとおりです。

大乗ノーベルニュース4月号

ケーブルTV『タネット 毎週金曜日18:00館長出演中

2024.3.jpg

★★★解答&解説★★★

2024.3a.jpg2024.3b.jpg

 

高3生・中3生・小6生のみなさん 卒業おめでとう!  

 

春期講習のご案内  期間 3/25(月)~4/7(日)  

 お知り合いで春期無料体験学習をお考えの方がいらっしゃいましたら,紹介カードをぜひご利用ください。Quoカードをプレゼントさせていただきます。なお、定員になり次第締め切らせていただきますので、お早めにお申込みください。

 

突然の1通のメール

 2023年12月中旬、突然の1通のメール。
 塾の卒業生からでした。
 塾を卒業して、大学時代には何回か会いましたが、もうそれから、かれこれ25年ぐらい経っていました。塾の校舎も、現在のグリースカイホテルの場所にあったビルの3・4階でした。竹原では一番古いビルで、建物にもヒビがはいっていたり、雨漏りがしたり・・・・。また、塾生はエレベーターには乗ってはいけないことにしていました。
 メールの内容は12月の下旬に久しぶりに東京から帰省するので、館長に会いたい。ということでした。会う当日、一緒に学んでいた塾の友人で、かつ、同じ大学(筑波大学)に進学した仲間と2人で一緒に館長室に。驚いたことに、時計の針を巻き戻したかのように、2人はあの当時のままの顔、性格、話し方もあの当時のまま。タイムスリップしたようでした。
 1人は行政の仕事をし、メールをくれたもう1人はリクルートに勤めていました。2人から、後輩(特に受験生)に差し入れをいただき、たくさんの思い出話で盛り上がりました。その中の1つで、彼らと同様に忘れられない思い出話を紹介します。
 2人は基本、毎日塾に来ていました。1人は広高校、もう一人は武田高校。高校に進学しても通塾を続け、毎晩夜の12時過ぎまで塾で勉強。当時は、ノーベルは12月31日を除いて364日、日祝・盆正月も午前10時開館、最後の生徒が帰ったら閉館という暗黙のルールでした。生徒に遅いから帰るよう、指導はしませんでした。(当然、事前にご家庭には連絡を入れて、帰宅前にも電話をさせていました)
 職員も誰かが必ずいました。当時は、こちらがメインで一緒にいました。面白かったのは。夜の11時ごろ、ギターを弾いてよく歌っていました。休憩の気分転換です。ある時は、教室の汚れた壁のペンキを塗っていました。
 頼んだわけではありません。自主的にです。慌てて、こちらが手伝いました。塾が彼らの家でした。濃密な時間、忘れられない思い出。ノーベルを愛してくれていました。
 ある時、今回訪ねてきた広高校出身のOB(まじめで口数の多くなかった生徒)がこう口を開きました。
「館長、学校の先生に『〇〇君は英語の通知表は6(10段階)なのに、なぜ、模擬テストで1番なんだ?』と聞かれたので、『ノーベルで勉強しているからです』と言いました。」と。その言葉を聞いたとき、泣きそうになったのを覚えています。
 時計の針も進み、話も終わりごろになって、リクルートに勤めているOBがカバンの中から1冊の本を。
「館長、この本もらってください。自分が書きました。もう少ししたらリクルートを辞めて、仲間と新しい会社を設立して、この本に書いてあることを実現します!」と。
 彼が開いたページには、起業してこの本に書いたことを実現することで全世界に貢献し、全世界の平和に貢献する。そして、日本人2人目(佐藤栄作 首相に次ぐ)のノーベル平和賞を受賞すると・・・・
 ノーベル学習館の名の由来でもあり、塾設立の根幹となった、ダイナマイトを発明しノーベル賞を創設したアルフレッド・ノーベル。ノーベルのように社会に貢献しようという言葉を覚えているのです。
「自分はそれをこれから実現します。」と。彼は、それを伝えに東京から会いに来たのです。
 たかが塾、されど塾、塾という学び舎で子供たちが学びを通して「行きたい学校に進学してやりたい仕事で社会に貢献する」。そのために自らの力で人生を切り拓く大切さを学ぶ。仲間と共に学び共に育つ。感謝を学ぶ。
 久しぶりの再会、こんなにも幸せな時間。 

 『共に学び 共に育つ』 館長 西川敏博

ページ移動

  • 前のページ
  • 次のページ
  • ページ
  • 1

ユーティリティ

カテゴリー

新着画像